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株式会社Royal Fortune > 暦の達人 > 暦の達人 暦の解説と暦注の読み方

■暦の解説と暦注の読み方

当社が発行・提供している暦のメルマガや、開運カレンダーの解説と読み方になります。 暦の歴史や基本的な背景、世界観などを把握しておくことで「暦」を最大限に活用することができます。 目に見えない時の流れや運の盛衰を、目に見える形で表記している「暦」は、まさに人類の叡智の結晶とも言えるでしょう。


▼00.暦の解説と暦注の読み方

[暦とは] [暦の歴史と人類] [太陰太陽暦と新暦旧暦] [暦注とは] [撰日法とは] [暦のあれこれ]


■暦(こよみ)とは

暦とは、日の経過を記録するものであり、時間の流れを「年 月 日」などの単位で体系化したものになります。 暦の字源は「厤+日」となります。 「厤」は、「厂(屋根)」と「禾(稲などの穀物の穂)」から成り立ち、屋根の下(屋内)で稲の穂を順序よく並べる意味があり、「日」は太陽を表しています。 このことから「暦」とは、「日」を順序良く並べて数え易くしたものであることが分かります。 また、古代では、稲などの穀物の穂を並べ、日の経過を数えていたことが推察できます。 この日付の並びを分かりやすく表示したものが暦表であり、カレンダーとなります。

暦を体系化する法則を「暦法(れきほう)」と呼び、太陽や月などの天体の運行を基に暦が作成されます。 暦の起源は古代文明にあり、紀元前3,000年頃には、世界各地の古代文明でそれぞれの環境に合わせた暦法に基づき、暦が作成されていました。 それ以前の後期旧石器時代(10,000年以上前)にも、それぞれの環境に応じて暦らしきものがあったとされる説もあります。

人類が原始的な「狩猟文明」から「農耕文明」に推移していくと共に、暦はより進化し体系化されていくことになります。 農耕文明になると、生活に必要となる食糧の安定確保が必須となり、季節や気候の推移、雨期や乾期などをより正確に把握するために「暦」がより重要なものとなります。 暦を活用することで、河川の氾濫や洪水などが起こる雨期を予期し、種まきや収穫の時期を適切に選ぶことで、安定した穀物の収穫が実現するようになります。

このようなことから暦とは、自然の法則性を紐解き、自然の力を生活に取り込むために進化してきたものであることが分かります。 また、暦とは、人類が自然と一体化して、効率よく快適に生活するために重要な指針となります。


▼暦の字源と意味
意味
广(まだれ)の兄弟 屋根を表す
稲などの穀物の穂を表す
禾禾穀物の穂を並べる
屋根の下で稲の穂を順序よく並べる
太陽を表す
日を順序良く並べて数え易くする
※古人は穂を並べて日の経過を数えていたのでは?

■暦の歴史と人類について

暦の歴史は人類の歴史でもあるように、有史以前から様々な形の暦(簡易的なものから複雑なものまで)があったとされています。 スコットランド北東部のアバディーンシャーでは、1万年以上前の中石器時代に使われていたとされる太陰暦が発見されています。 その後、古代文明がおこると暦はより発展し、生活に必要不可欠なものへと進化することになります。

紀元前4,000年ごろの古代エジプトでは、太陽暦の起源となる「シリウス暦(エジプト暦)」が生まれます。 このエジプト暦を基にして、古代ローマのユリウス・カエサルが紀元前46年に「ユリウス暦」を誕生させ、太陽暦がヨーロッパに広まることになりました。 その後1582年になると、ユリウス暦をより正確なものにするため、当時のローマ教皇グレゴリオ13世の命により、現在でも主流となる「グレゴリオ暦」が誕生します。

紀元前4,000年ごろにメソポタミア文明を築いたシュメール人は、月の満ち欠けの周期に注目し「太陰暦」が生まれます。 しかし、1太陽年における季節と太陰暦における季節とに相違が生じるため、簡易的に閏月を入れた太陰太陽暦が、紀元前2,500年ごろのバビロニアで生まれることになります。 その後(前383年ごろ)バビロニア人は、メトン周期の発見と共に、この原理に従い閏月を暦に入れることで、太陰太陽暦がより正確なものへと進化させていきます。 メトン周期とは、太陽暦の19年の日数と、太陰暦の19年と7か月の日数とが、ほぼ等しくなるという原理になります。

古代中国では、殷の時代(紀元前1,600年ごろ)に甲骨文字が誕生し、十干十二支から成る干支紀日法にて、太陰暦が使われていたとされます。 春秋戦国時代(前770年から前221年ごろ)になると、農耕による食料の確保と効率化が急務となり、太陽の運行を基に二十四節気を導入し、閏月の設定にメトン周期が用いられ、太陰太陽暦が体系化されていきます。

このようにして、暦は人類の進化と共に発展し、自然(天の気)の盛衰と道理を読み解く貴重な指針となりました。 また、暦を適切に扱うことで、大自然の力を生活に取り入れ、人類の生活が豊かなものとなります。 まさに、人類の歴史そのものであり、人類の叡智の結晶ともいえるものが「暦」であります。


▼暦の歴史
意味
シリウス暦古代エジプトで発祥 太陽暦の前身 別名「エジプト暦」
ユリウス暦エジプト暦を基に古代ローマで発祥 太陽暦
グレゴリオ暦ユリウス暦をより正確なものに 現行の太陽暦
太陰暦有史以前から発達 世界各地で発掘されている
太陰太陽暦太陽年に合うように太陰暦に閏月を導入
メトン周期太陽暦の19年の日数と太陰暦の19年と7か月の日数とがほぼ等しい
干支紀日(年)法十干十二支から成る六十干支を用いて日(年)を表記する方法

■太陰太陽暦と新暦・旧暦とは

太陰太陽暦とは、太陰暦(月の満ち欠けを基にした暦)を基本とし、太陽の動きも考慮して閏月を入れて月日を定める暦になります。 東洋占術の基本は、この太陰太陽暦となり、干支紀日法にて年月日を表記します。 現代での暦は「グレゴリオ暦(太陽暦)」となりますが、このグレゴリオ暦に太陰太陽暦、干支紀日法の要素を併せて体系化されたものが、東洋占術で活用する暦の基本となります。

新暦とは、日本ほか東アジアの諸国において、太陰太陽暦から改暦した「グレゴリオ暦(太陽暦)」のことを指します。 日本では、1873年1月1日(明治6年)に改暦が施行(明治改暦)され、それ以降は「グレゴリオ暦(太陽暦 新暦)」となり、現在に至ります。 日本における旧暦とは、1872年12月31日(明治5年12月2日)まで使用されていた「天保暦(太陰太陽暦)」やそれ以前の暦法に準じた暦のことを指します。 現在の暦における「旧暦」とは、太陰太陽暦にて現在の年月日を表記したものとなります。


▼太陰太陽暦と新暦・旧暦
暦法
新暦グレゴリオ暦(太陽暦) ※現行の暦
旧暦改暦前の暦法に準じた暦 (太陰太陽暦など)
太陽暦地球が太陽を回る周期を基にして作られた暦
太陰暦月の満ち欠けの周期を基にした暦
太陰太陽暦太陰暦を基とし太陽の動きから閏月を考慮した暦

■暦注(れきちゅう)とは

暦注とは、陰陽五行説や十干十二支に基づき、生活に有益な情報を暦に対して記載した注釈となります。 暦の上段には、「日付」「曜日」「二十四節気」「七十二候」などの情報が記載され、中段には「十二直」が記載されています。 下段には「選日」「二十八宿」「九星」「その他 暦注下段」などの情報が記載され、「六曜」も暦注の一つとして考えられています。 これらの「暦注」の決め方、法則性を「撰日法」と言います。


▼暦注とは
暦注内容
上段日付 曜日 二十四節気 七十二候 (六曜)
中段十二直
下段選日 二十八宿 九星 暦注下段 など

■撰日法(せんじつほう)とは

撰日法とは、暦注(暦における注釈)の日取りを決める方法となります。 「節切り」「月切り」「不断」の三種類の撰日法があります。

「節切り」とは、「節月」を基準として暦注の日取りを決定する方法となります。 二十四節気の節気(正節)からの日数や、節月の十二支と日の干支の関係性などで暦注を決める方法となります。 多くの暦注は、この節切りによる撰日法となります。 俳句の季語も節切りにより分類されています。

「月切り」とは、「旧暦」を基準として暦注の日取りを決定する方法となります。 旧暦の朔日(1日)からの日数や日の干支などで暦注を決める方法となります。 大安や仏滅などの六曜は、この月切りで日取りが決まります。

「不断」とは、暦月や節月に関わらず、暦注の日取りが常に一定のものになる方法となります。 日の干支が特定のものになる日などで暦注を決める方法となります。 神吉日や大明日、天恩日などはこの手法で日取りが決まります。


▼撰日法とは
撰日法基準
節切り節月(二十四節気)
月切り暦月(朔望月)
不断一定の条件(干支など)

■暦のあれこれ(予備知識)

暦の解説において使用している用語や暦、その他の情報についての解説になります。 ご不明な用語や解釈がありました際にはご連絡くださいませ。 随時追加して行きながら、分かりやすい解説に努めてまいりたいと思います。

▼ 節月(せつげつ)
節月とは、二十四節気の節気(正節)を含む日から、次の節気(正節)を含む日の前日までを1ヶ月とする考え方になります。 二十四節気「春分(正月節)」から「啓蟄(二月節)」の前日までが正月(寅月)となります。

▼ 暦月(れきげつ)
暦月とは、暦上の一月を1ヶ月とする考え方になります。 暦や暦注、撰日法などで考慮する暦月は、旧暦(太陰太陽暦)においての暦月となり、朔望月(さくぼうげつ)となります。 現行のグレゴリオ暦(太陽暦)における暦月とは異なります。

▼ 宣明暦(せんみょうれき)
宣明暦は、日本において862年2月3日~1685年2月3日の823年に渡り継続して使用された、中国暦(太陰太陽暦)の一つとなります。

▼ 貞享暦(じょうきょうれき)
貞享暦は、宣明暦に変わり、1685年2月4日~1755年2月10日の70年に渡り使用された、初めて日本人の手で編纂された和暦(太陰太陽暦)となります。

▼ 宝暦暦(ほうりゃくれき)
宝暦暦とは、貞享暦に変わり、1755年2月11日(宝暦五年)~1798年2月16日(寛政九年(1797年))の43年間に渡り使用されていた日本の暦(太陰太陽暦)となります。

▼ 具注暦(ぐちゅうれき)
具注暦とは、日本の律令制において中務省に属する機関のひとつである「陰陽寮」(占い、天文、時、暦の編纂を担当していた)が作成していた暦となります。

▼ 会津暦(あいづごよみ)
会津暦とは、江戸時代に会津若松の諏訪神社の神官により作られた地方暦となります。

▼ 八専太郎(はっせんたろう)
八専太郎とは、暦注における選日の一つでもある「八専」一日目となり、この日に雨が降ると続いて長雨になり、晴れれば後も天気が良いとされます。 また、その逆に、この日に雨が降るとその後は晴天が続き、晴れるとその後は雨が多いとされることもあります。

▼ 天一太郎(てんいつたろう)
天一太郎とは、その年の最初の「天一天上 1日目(癸巳日)」となり、「上吉日」とされ、特に結婚などに良いとされていました。 この日に雨が降るとその後の天候が悪くなるとされ、この日の天候から一年が豊作となるか、凶作となるかを占っていました。

▼ 彼岸太郎八専次郎土用三郎寒四郎
彼岸太郎(ひがんたろう)とは、「彼岸」の初日(特に春の彼岸)のことになります。
八専次郎(はっせんじろう)とは、暦注における選日の一つでもある「八専」の二日目のことになります。
土用三郎(どようさぶろう)とは、夏の土用(立秋前の約18日間)の三日目のことになります。
寒四郎(かんしろう)とは、二十四節気「小寒」にあたる寒の入りから4日目のことになります。
暦の上で、この日に晴れると、その年は豊作になるとされます。